1月12日今日はどんな日?歴史の出来事や六曜、食べ物の情報を大公開!

1月12日は「スキーの日」「桜島の日」などの記念日です。

  • ①:1月12日の記念日と行事
    ②12日の食べ物はニンジンやパンの日他
    ③:今日は何の日・六曜では「赤口」解説
    ④:過去1月12日日本や世界での出来事

そのほか1月12日は旧暦で12月13日の解釈と誕生花など。

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1月12日は何の日:「スキーの日」「桜島の日の日

「スキーの日」「桜島の日」
それぞれ以下に解説します。

「スキーの日」の内容と制定理由:どうしてこの日がスキーの日なのだ?

*スキーの日の由来と記念行事

①:1月12日はスキーの日
1月12日は日本の
「スキーの日」
とされています。
この日は1911年(明治44年)に、オーストリアの
レルヒ少佐」
が新潟県上越市で、高田陸軍歩兵聯隊の青年将校たちにスキーを指導した日です。
この出来事は日本にスキーが紹介された重要な瞬間であり、日本におけるスキーの普及が始まった日とされています。

②:レルヒ少佐の功績
レルヒ少佐は、オーストリアの軍人であり、日本にスキーを伝えた人物として歴史に名を刻んでいます。
彼の指導により、スキーは日本の軍隊や民間に広まり、その後の
「スキー文化」
の基盤が築かれました。

③:金谷山スキー場と顕彰会
新潟県上越市の金谷山スキー場では、毎年1月12日に
「レルヒ顕彰会」
が開催されます。
この行事は、レルヒ少佐の功績を讃え、スキーの発展と普及に尽力したことを記念するために行われます。
スキー文化の根付いた地で、彼の教えを今もなお伝え続けているのです。

「桜島の日」の内容と制定理由:どうしてこの日が桜島の日なのだ?

*桜島の大噴火(1914年1月12日)

①:発生した日時と規模
1914年1月12日、鹿児島県の桜島が大噴火を起こしました。
この噴火は、桜島史上最大規模のものであり、噴煙は高さ
「約5,000メートル」
に達し、火山灰が広範囲に降り注ぎました。
噴火は約1ヶ月にわたり続き、特に
「1月12日」
の噴火が最も激しいものでした。

②:被害の概要
桜島の噴火によって、周辺地域に甚大な被害をもたらしました。
噴火による火山灰は、鹿児島市をはじめ、広範囲に降り積もり、農作物や家屋に大きな影響を与えました。
また、
・火山弾
・溶岩流
が周囲に流れ、村々が壊滅的な被害を受けました。
噴火により、犠牲者が多数出たほか、家屋の倒壊や生活基盤の破壊が続きました。

③:噴火の特徴と影響
桜島の1914年の噴火は、爆発的な噴火と共に溶岩の流出が発生し、桜島の東側に広がった溶岩台地が形成されました。
この噴火は、周辺地域の地形や環境に大きな変化をもたらし、鹿児島市の発展に影響を与えました。
今なお桜島は活火山として、日本の
「火山研究」
における重要な対象となっています。

1月12日は他に語呂合わせで「ニンジンの日」と「いいねの日」

1月12日は他にじは語呂合わせで
①:「ニンジンの日」
②:「いいねの日」(エールを送る日)
です。
以下解説します。

*「にんじんの日」

1月12日が
「いいにんじんの日」
とされているのは、語呂合わせによるものです。この日は、
「1(い)」「2(に)」「12(んじん)」
と読むことができ、ニンジンにちなんだ語呂合わせが成立するため、記念日として設定されました。

・制定理由
「いいにんじんの日」は、高麗ニンジン(韓国人参)を広めるためのキャンペーンの一環として、韓国の高麗人参業界を代表する企業である「株式会社韓国高麗人参公社ジャパン」によって制定されました。高麗ニンジンは、健康維持や体力向上に役立つとされ、特に韓国では伝統的な健康食品として広く消費されています。こうした高麗ニンジンの効能や魅力を日本でも広め、消費促進を図ることを目的に、記念日が設定されました。

制定日
この記念日は、2013年に制定されました。
韓国高麗人参公社ジャパンは、高麗人参の消費促進とともに、その健康効果をより多くの人々に知ってもらうために、語呂合わせに基づいて
「いいにんじんの日」
を提案し、1月12日を記念日として定めました。

*「いいねの日」(エールを送る日)

1月12日は
「いいねの日」(エールを送る日)
として、語呂合わせで「1(い)」「2(ね)」にちなんで制定されました。
この記念日は、エールや応援を送ることの大切さを伝えることを目的としており、人々が互いに励まし合う社会づくりを促進するために、
「いいねの日企画室」
によって2011年に設定されました。

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1月12日の記念日:毎月12日の記念日は育児の日やパンの日と豆腐の日

毎月12日は以下の記念日です。

①:育児の日
1月12日は
「育児の日」
として、神戸新聞社が制定しました。
この日は、
「1(い)」「2(く)」「12(じ)」
の語呂合わせにちなんでいます。
育児に対する理解と支援を促進することを目的として、家庭や社会全体で
「育児の大切さ」
を再認識し、子どもと共に過ごす時間を大切にする意識を高めることを目的に制定されました。

②:パンの日
1月12日は
「パンの日」
として、パン食普及協議会によって制定されました。
この日は、1842年の旧暦4月12日に、砲術家の江川英龍庵が日本で初めてパンを焼いたことに由来しています。
江川は西洋式のパン作りを学び、伊豆の韮山で自らの手でパンを焼き、その技術を広めました。
この出来事がきっかけで、日本におけるパンの普及が始まり、パン文化の発展に繋がりました。

③:豆腐の日

1月12日は
「豆腐の日」
として、日本豆腐協会が制定しました。
この日は、
1(い)1(い)2(ふ)
の語呂合わせにちなんでいます。
豆腐は日本の伝統的な食品で、栄養価が高く、健康にも良いとされています
。豆腐の日は、豆腐の魅力を再認識し、より多くの人々に豆腐を食べてもらうことを目的に、豆腐の普及と健康促進を図るために制定されました。

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2025年1月12日の六曜カレンダー:今日は「赤口」

今日は六曜カレンダーでは
「赤口」(しゃっこう:しゃっく)
です。
どんな日?
以下に解説します。

2025年1月12日は六曜で「赤口(あかぐち)」の日です。
「赤口」
は、吉凶が混在している日とされ、特に
「昼間の時間帯」
に注意が必要とされています。
この日は「赤い口」という意味で、血に関わることや戦いなどを連想させることから、悪い結果を招く可能性があるとされています。
そのため、
「午前11時から午後1時」
までの時間帯は特に注意を払うべきとされています。
しかし、夕方以降は運気が回復するとされ、午後からの行動には少し安心感があります。

*六曜の一覧と解説:

・大安(たいあん)
最も縁起が良いとされ、結婚式や新しいことを始めるには最適な日。

・赤口(あかぐち)
午前11時から午後1時以外は比較的良い日ですが、特に昼間は慎重に過ごすべき日。

・先勝(せんしょう)
午前中は吉、午後は凶となり、早い時間帯に行動を起こすのが良い日。

・友引(ともびき)
昼は良い日とされますが、結婚式などの祝い事は避け、葬式は避けるべき日。

・先負(せんぶ)
午後が良いとされ、午前中は慎重に行動するのが良い日。

・仏滅(ぶつめつ)
一番の凶日とされ、何事にも不安やトラブルが多い日とされています。

なかなか深いものがあります。

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1月12日は24節気では「小寒」の期間:小寒の期間の特徴簡単に解説

1月12日は
「小寒」
の期間にあたります。小寒は、二十四節気のひとつで、2025年は
「1月4日から1月19日」
までの期間に該当します。
この時期は、冬の寒さが最も厳しくなる時期の始まりを意味し、寒さが本格化していく時期です。
言い換えれば、冬の寒さが本格的に深まる
「前触れの時期」
とも言えます。

「小寒」
とは、文字通り
「寒さが始まる」
ことを意味し、寒の入りとも呼ばれます。
この期間には、特に北風が強く吹き、日中の気温も低くなるため、
・農作物
・体調
への影響が出やすく、慎重な管理が必要とされる時期でもあります。
しかし、この寒さの中でも、冬の風物詩として
「寒中見舞い」
が送られることが多いなど、冬の景色を楽しむ習慣もあります。

また、小寒は
「寒の入り」
とされる一方で、春を迎える準備が始まる兆しでもあります。
特に、寒さの中にも徐々に春の気配が感じられるようになり、次の節気
「大寒(1月20日~2月3日)」
へと進んでいきます。
小寒の時期には、寒さを乗り越えるための体調管理や温かい食事が重要とされ、例えば
・「お鍋」
・「おかゆ」
など、体を温める料理が食されます。
このように、小寒は冬の厳しさを感じながらも、春への移ろいを感じる時期でもあります。

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2025年1月12日は旧暦で12月13日:旧暦と新暦の違いを簡単に

「2025年1月12日」
は旧暦で「12月13日」にあたります。
旧暦では、1月12日がまだ
「冬の終わりに向かう時期」
に差し掛かる時期で、季節感が異なります。
12月は、現代の1月にあたる時期であり、旧暦における12月は、
「冬至」
を過ぎて寒さが一層厳しくなり、年末の準備や祭りごとが行われる時期です。
この時期は
「寒の入り」
を迎え、冷え込みが深まり、日々の温かい食事や生活が重要になります。

また、
「旧暦12月」
は、年の終わりに向かう時期として
・「大掃除」
・「年越し」
の準備が始まる頃です。
日本の伝統的な年末行事やお正月の準備が進む一方で、春を迎える準備が少しずつ始まります。
新年を迎える準備が進む中で、寒さとともに、
「春への期待」
を感じる季節でもあります。
このように、旧暦の12月13日は、現代の1月12日とは少し異なる、冬の深まりと年末のしめくくりの時期にあたります。

*新暦と旧暦の季節感の違いは、切り替わったときにはなかなか受け入れるのはたん篇だったように感じます。

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2025年1月12日の誕生花:「スイートアリッサム」と「フクジュソウ」:花言葉と原産地

1月12日の誕生花は
「スイートアリッサム」と「フクジュソウ」
です。
以下に説明します。

*スイートアリッサム

スイートアリッサム
(写真AC)

・花言葉:「優美」「安らぎ」
・生息地:
スイートアリッサムは、地中海沿岸地域が原産です。
特に、南ヨーロッパや北アフリカの温暖な地域に自生しています。
また、現在では世界中の温暖地域で栽培され、花壇や鉢植えなどでよく見かけます。
・特徴:
スイートアリッサムは、小さな白やピンクの花が集まった、可愛らしい印象を与える植物です。
甘い香りが特徴的で、庭や道端に植えられることが多いです。
寒さに強く、冬の間も花を咲かせることがあるため、寒い季節の庭を彩る花として親しまれています。

*フクジュソウ
フクジュソウ
(写真AC)

・花言葉:「幸福」「長寿」「恵まれた未来」
・生息地:
フクジュソウは、日本、特に本州や四国の山間部に自生しています。
雪解けの早春に黄色い花を咲かせるため、
「春の訪れ」
を告げる花としても知られています。
・特徴:
フクジュソウは、冬の寒さを耐え抜いて最初に咲く花の一つで、鮮やかな黄色の花が特徴です。
この花は、冬の終わりから春の始まりにかけて咲くことから、希望や新しい始まりの象徴とされています。
日本では、縁起の良い花として、特に新春を迎える時期に親しまれています。

*両方の花は、寒い季節に力強く花を咲かせ、幸福や希望を象徴する美しい花です。

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世界の1月12日:休日の内容とお国でのイベント事情

二つ紹介します。

1月12日はアンゴラの「解放の日」

*アンゴラ
1月12日が祝日で休日となっている国は、アンゴラです。
アンゴラでは、1月12日は
「解放の日」
として祝われます。
この日は、1975年にポルトガルから独立を果たしたアンゴラにとって重要な記念日であり、独立戦争の終結を祝う意味があります。
国民はこの日を通じて、独立と自由を記念し、各地でさまざまな式典や行事が行われます。

1月12日はインドでは「青年の日」

*青年の日
インドでは、1月12日を
「青年の日(National Youth Day)」
として制定しています。
この日は、インドの偉大な哲学者であり宗教指導者である
「スワミ・ヴィヴェーカーナンダ」
の誕生日にあたります。
スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、19世紀末から20世紀初頭にかけてインドの
「精神的再生」
を訴え、教育、社会改革、宗教的調和を推進した人物です。

*青年の日の制定背景
インド政府は、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの思想や理念を次世代に伝え、若者にインスピレーションを与えることを目的として、1月12日を
「青年の日」
として制定しました。
彼の教えは、特に若者に向けて自己信頼や社会的責任を促し、インドの社会に貢献する姿勢を育むことに重点を置いています。

*目的と活動
青年の日の目的は、インドの若者に
「ヴィヴェーカーナンダ」
の理想を伝え、教育や社会改革に対する意識を高めることです。
この日には、インド全国で
・講演会
・ディスカッション
・文化活動
・ボランティア活動
などが行われ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの思想を深く学ぶ機会が提供されます。

1月12日はザンジバル革命記念日

「ザンジバル革命記念日」
は、1964年1月12日にザンジバルで起きた革命を記念する日です。
この革命は、ザンジバル島での
「アラブ支配」
に対する黒人の反乱として始まりました。
革命の結果、ザンジバルの
・アラブ王族
・上流階級
が排除され、ザンジバルは黒人主体の政府に転換しました。

ザンジバルは、当時イギリスの保護領から独立し、アラブ人が支配していましたが、黒人住民の間で不満が高まり、1964年1月12日に黒人指導者の
「アブドゥル・ラフマン・バンガラ」
が率いる革命が勃発。
暴力的な闘争を経て、アラブ王政が崩壊し、黒人主体の新政府が樹立されました。

この革命は、ザンジバルが
「タンザニア連合共和国」
に統合されるきっかけともなり、現在も毎年1月12日にザンジバルで
「革命記念日」
が祝われ、国の独立と社会的変革を祝う重要な日となっています。

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過去1月12日に世界で起きた出来事:

過去、1月12日には以下のようなイベントや事件、災害が起きました。

*大相撲のラジオ中継開始
1947年1月12日、ラジオ放送で大相撲の中継が初めて行われました。
これにより、相撲ファンはテレビが普及する前からラジオを通じて大相撲を楽しむことができました。
日本の国民的スポーツである大相撲の魅力が、ラジオの普及によって全国に広まり、より多くの人々に親しまれるきっかけとなりました。

*ナショナル・トラスト発足
1895年1月12日、イギリスで
「ナショナル・トラスト」
が発足しました。
自然環境や歴史的建物を保存するために設立されたこの団体は、イギリスの
「風景保護活動」
の先駆けとなり、世界中の保存活動にも影響を与えました。今
日では、多くの国々で同様の団体が設立され、遺産の保存と環境保護に貢献しています。

*ロッキーマウンテン国立公園開園
1915年1月12日、アメリカの
「ロッキーマウンテン国立公園」
が開園されました。
この公園は、標高の高い山々や豊かな自然環境が魅力で、多くの登山者や観光客に親しまれています。
アメリカの自然保護の象徴的存在となり、観光地としても重要な役割を果たしています。

*第1回 日本スケート選手権大会開催
1930年1月12日、
「第1回日本スケート選手権大会」
が開催されました。
この大会は、日本のスケート競技の発展に大きな影響を与え、国内スケートの普及を促しました。
競技は男子と女子に分かれて行われ、現在のスケート競技の基盤を作り上げる重要なイベントとなりました。

*マックノート彗星
2007年1月12日、
「マックノート彗星」
が最接近しました。
この彗星は、観測史上最も明るい彗星の一つとして注目され、世界中の天文学者や天文愛好者にとって、貴重な観測対象となりました。
彗星の明るさは、夜空を彩る自然現象として多くの人々に感動を与えました。

*ハイチでM7.0の地震発生
2010年1月12日、ハイチでM7.0の大地震が発生しました。
この地震は首都ポルトープランスを直撃し、多くの建物が倒壊し、甚大な被害をもたらしました。
数十万人が死亡し、国際的な支援活動が行われるなど、ハイチにとって大きな試練となりました。

この日もっと重大なイベントだったかもしれません。
以下を取り上げて特集してみました。

アチソンラインの表明とアジア情勢の転換点

*アチソンラインの設定
アチソンライン(Acheson Line)は、
1947年1月12日
にアメリカ合衆国の当時の国務長官、
「デーン・アチソン(Dean Acheson)」
によって提唱された戦略的な防衛線です。
この線は、アメリカの防衛範囲を示すもので、主にアジアとヨーロッパを結ぶ重要な地域を対象としていました。

アチソンラインの背景には、第二次世界大戦後の
「冷戦初期」
におけるアメリカの外交政策があります。
アメリカはソビエト連邦の拡大を抑制するために、強力な防衛ラインを確立し、民主主義国家の保護を重視しました。
アチソンは、アメリカが防衛すべき地域として、
・日本
・韓国
・台湾
・フィリピン
そしてヨーロッパの一部を挙げました。
このラインは、アメリカが自国の安全を確保するために重要な地域であることを強調する意味を持ちました。

ただし、このラインは
・日本
・韓国
などの国々にとっては、アメリカによる影響力の確立を示す一方で、ソビエト連邦やその衛星国に対しては
「対立的な意味」
を持ちました。
アチソンラインは、冷戦時代のアメリカの外交戦略の一部として重要な役割を果たし、その後の東アジアやヨーロッパの安全保障政策に影響を与えることとなりました。

朝鮮戦争など、歴史が動くトリガーになったような印象も受けます。

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1月12日生まれの昭和以降での著名人10選

1月12日生まれの著名、有名人を私の勝手で10人のみピックアップしてみました。

*三浦朱門(作家)
日本の小説家で、特に歴史小説を多く執筆し、平安時代の背景を描いた作品が評価されています。

*三木たかし(作曲家)
日本の音楽界で活躍した作曲家で、アイドル歌手に多くの楽曲を提供し、音楽シーンに大きな影響を与えました。

*かまやつひろし(歌手)
日本のロック歌手で、グループ「ムッシュかまやつ」としても知られ、独特な音楽スタイルで長年愛されました。

*村上春樹(作家)
世界的に著名な作家で、特に「ノルウェイの森」や「1Q84」など、幻想的で独自の世界観を持つ作品が特徴です。

*中谷美紀(女優)
映画やドラマで幅広い役柄を演じる実力派女優で、国内外で高い評価を受けています。

*尾形大作(演歌歌手)
演歌歌手として知られ、多くのヒット曲を生み出した歌手で、長年にわたって愛され続けています。

*澤登正明(サッカー選手)
日本代表として活躍したサッカー選手で、国内リーグでも実績を上げ、引退後も指導者として活躍。

*美濃輪育久(プロレスラー)
日本のプロレス界で活躍したレスラーで、特にその強靭な体力とパワーでファンを魅了しました。

*古城茂幸(プロ野球選手)
プロ野球の投手として活躍し、特にストレートと制球力で注目を浴びました。

*橋本愛(モデル)
人気モデルで、若干16歳でデビューし、今ではファッション界で重要な人物となっています。

私の大好きだった「かまやつひろし」さんはこんな人だった!

*1950年代 – 幼少期・音楽の芽生え
かまやつひろし(本名:かまやつ ひろし)は、1939年に東京で生まれました。
子どもの頃から音楽に親しみ、特にロックやジャズに影響を受けました。
大学時代に音楽活動を本格化させ、大学のバンドで活躍していました。

*1960年代 – ザ・スパイダースでの活躍
1960年代に、かまやつは
「ザ・スパイダース」
というバンドのメンバーとして音楽活動を本格化させます。
このグループは、1960年代の日本のロック・ポップスシーンで非常に重要な役割を果たしました。
特に、スパイダースは日本のロック音楽に多大な影響を与え、かまやつのギタリストとしての才能が開花しました。

*1970年代 – 成功と認知度の拡大
1970年代にはソロアーティストとしても活躍し、
「我が良き友よ」
などのヒット曲を生み出し、広く認知される存在に。
日本の音楽シーンにおいて重要なアーティストとしてその名を確立しました。
この時期は、彼の音楽キャリアの黄金期とも言えるでしょう。

*1980年代〜2010年代 – 音楽活動の幅を広げる
1980年代からは、音楽活動の枠を超えて俳優業やテレビ出演も行い、さらに幅広いメディアで活躍しました。
長年にわたって日本の音楽業界に多大な貢献をし、世代を超えて愛され続けました。

*晩年 – 音楽と共に生きる
晩年も音楽活動を続け、長寿を全うしたかまやつひろしは、今も日本の音楽史において重要な位置を占めています。

大好きでしたよ~~
「輪が良き友よ」
をギターで良く弾いてました・・なつかしい~~~

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「今日は何の日」2025年1月12日の感想とまとめ

「1月12日」
この日もいろんなことがあった日ですね。
「アチソンライン」
はとても有名ですね。
このラインの引き方が、なんとなく今の日本を取り巻く境界に多大な影響を及ぼしているような感じを持つのは私だけ?
ではないかと思います。

何かと、未来を予測していたような、そんな気がするんだな。

「ムッシュかまやつ」
は大好きだったな~~
「我が良き友よ」
はヒットして、私が学生の時でした。
良きギターで弾いて歌っていました。
懐かしいです。

スパイダースの面々はまだ活躍されてる方いますね。

ちょっと早かったな~~が印象です。

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*一番上の画像はわたしが撮影した
「市内の公園の夜の風景」
の写真です。

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